寺院建築 龍宝山如来寺|建築家と建てるデザイナーズ住宅はダイケンハウス

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寺院建築

龍宝山如来寺の山門復元工事・鐘楼堂の復元工事

龍宝山如来寺長年の技術により寺院建築もさせていただいております。近年では”龍宝山 如来寺”様の山門復元工事をさせていただきました。現在は同じく鐘楼堂の復元工事をさせていただいております。
龍宝山如来寺は天正年間(16世紀終わりに越中国(富山県)砺波郷増山に岌台上人が龍宝山往生院如来寺を創建しその後、慶長14年(1609年)増山より富山県高岡市の二上山麓に移り数年の後、加賀国金沢の卯辰山麓に移転しました。明暦2年(1656年)加賀藩主、前田光高(4代)の正室、清泰院(水戸光圀公の姉)が亡くなられ、御位牌所として現在地に約8千坪の領地を賜りました。寛文2年(1662年)当山7世、中興心誉上人の代に5代藩主、前田綱紀からさらに寺領4万坪を賜り、堂及び庫裡一切を建立し荘厳な伽藍が完成した。ここに加越能三国の浄土宗寺院の触頭となりました。しかし、享保3年(1718年)4月6日小立野亀坂からの火災により伽藍は全て消失し、その後約100年間再興の機会に恵まれませんでした。しかし、文化10年(1813年)12代藩主、前田斉広(金龍公)によって現在の御堂が再建されたのは、当山17世中興倫誉上人の代でした。現在は、石仏公園や墓所の整備もされ、宗派にこだわらない解放された寺院として、地域にとけこんだ活発な活動を展開しています。

ダイケンハウスの寺院建築復元された山門です。普段はこのように開放されたお寺なので気軽に訪ねることもできます。本堂の風格を損なわない立派な山門になりました。
山門の奥に見えますのが本堂です。

ダイケンハウスの寺院建築落慶法要以来閉ざされた事の無い山門の貴重な画像です。向かって左の扉に徳川家の家紋(葵)、右に前田家の家紋(梅鉢)があしらわれており、お寺の風格が滲みでているのがおわかりいただけるかと思います。主要木材は欅で構成されており、長年の風雨にも耐えられるものとなっております。

ダイケンハウスの寺院建築寺社建築独特の、反り返った屋根は宮大工が手作りで加工造作しております。最近では寺社建築もプレカット化され宮大工の技能を必要としないようになってきていますが、当社は一貫して、宮大工の手作りにこだわっております。
機械では出せない「人」の情熱が生き物である「木」にしっかりと受け継がれるものと考えております。

ダイケンハウスの寺院建築山門を真横から見たところです。見てて「あれ?」、と思われた方はおいでますでしょうか?正面から見てみると柱は中心を軸に左右対称に立っておりますが真横からみると非対称になっています。なにかアンバランスで倒壊してしましそうなイメージを抱いてしまいそうですね。しかし、これにはちゃんと理由があるのです。この山門は「薬医門」という古来から在る形式です。2本の主柱と2本の控え柱、計4本の柱の上に冠木や梁などを横架させ、その上に切妻屋根をのせたものです。特徴としましては先述した通り門の中心が柱間に対して、やや前寄りになっているのが「薬医門」の形式です。ではなぜ前寄りかと言いますと、主柱は当然門扉のつく柱になります。門扉自身の重さがかなりありますので、主柱にかかる重量は山門全体の半分ではなく、およそ70%以上にもなります。その主柱を、中心から見て控え柱と均等の距離においてしまうと建物の重量バランスが不均等になりとても危ないのです。そのような理由により、上の画像のような山門になるのです。もっとも、他の形式もありますのでそちらですと均等配置をしている山門も良くみかけると思います。お寺を訪ねることがあったら是非、山門もじっくりと見てみてください。きっと色んな形式の山門が見られて楽しいと思いますよ。

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285年ぶりの山門復活となった龍宝山如来寺の山門復元工事は地元でも話題となり、日本工業新聞(左)と北國新聞(右)で紹介されました。

鐘楼堂の復元工事の様子はこちらから